【感想】「死にがいを求めて生きているの」をよんだ

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朝井リョウの小説「死にがいを求めて生きているの」という本が気になり読んでみました。

読んでみると、自分のことなんじゃないかと何度も思わされ、共感だけでなく恐怖さえ感じました。「何者」を読んだときと同じような感じ。でも読んであらためて生きている意味を考えさせられる本です。

※ 以下ネタバレ的な要素も含んでいるのでご注意ください

「死にがいを求めて生きているの」あらすじ

植物状態のまま病院で眠る智也と、献身的に見守る雄介。二人の間に横たわる“歪な真実”とは?毎日の繰り返しに倦んだ看護師、クラスで浮かないよう立ち回る転校生、注目を浴びようともがく大学生、時代に取り残された中年ディレクター。交わるはずのない点と点が、智也と雄介をなぞる線になるとき、目隠しをされた“平成”という時代の闇が露わになる―“平成”を生きる若者たちが背負う自滅と祈りの物語。

この本は堀北雄介南水智也という二人の自分物が中心になって、現在から始まり小学生時代から現在へ数人の視点で進行していく物語でした。

この本は「螺旋プロジェクト」というプロジェクトの1作品として書かれた物語です。

感想

どこから書いて良いのかわからないけど、物語の多くの場面でとにかく心がぐっと掴まれるような感覚がすごかったです。自分もこういう経験というか苦悩したことあるよな?って感じで。

お前に価値はあるのか?生きがいとしていることがあるのか?死にがいとしていることがあるのか?今の仕事は働きがいがあるのか?物語を読むたびに自分にも問われているような気がした。高校までは時間割りの通りに生活して、みんなと同じように生活してそれでいいんだ。いざ大学になって社会人が近づくとみんなと同じではだめで、個性が必要だって感じるようなときもあった。生きがいが死にがいが無いとだめだって思った時期もあった。そんなことを考えたことがあったからこの物語に出てくる人に共感もしたし恐怖も覚えた。

物語でも、生きがいはないとだめ、何か人生をかけてやりたいことがないとだめ、誰とも比べないなんて糞で対立とか勝負、比較がないとだめなどいろんな人が葛藤し苦悩をしてた。大してやりたくもないことを生きがいと信じ込んでのめり込んだり、目的と手段が逆転しているのにそれに気づかずに熱中して後ろから指をさされたり。今の時代に多くの人が一度でも考えたことがあるようなことをとても詳細に表現されてて読むのが苦しかった。

比べられない、順位付けされない、勝ち負けを決めないようになってきているからこそ、生きがい・死にがいを作って持って自分で誰かと比べないといけないようになっている気がする。そういう気がしたからか、生きがい・死にがい・働きがい・〇〇がいを持っていないとだめで、とくに目的なく日々を人生を生きていることが悪だって思ってた自分もいた。周りの人にそれを求めてたときもあった。

でもそれって今考えると強迫観念で、別に誰からも強制なんてされてないしただ自分でそう思って自分で苦しめてただけ。別にやりがいなんて無くてもいいし、なんだっていいんだよね。生きがいとかも大事であれば良いにこしたことはないけど、ありのままの自分を認めてただ今の目の前の人生を楽しく幸せに過ごせてればそれで最高だと思う。自分自身でそう思うようになってから心が楽になって生きやすくなった。

なんてことを思った物語でした。僕は螺旋プロジェクトの対立というところより、〇〇がいというところにとても入り込んでました。

平成に生まれて生きてきた人(もちろんそれ以外の人も)は共感もするし苦しく感じると思います。でも、だからこそ読んだ方がいい物語です。読んだ人しかこのなんとも言えない黒いモヤモヤとした感情はわからないと思います。

なので気になった方はぜひ読んでみてください。

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